御正宮⇒荒祭宮と参拝したらそのまま進むと神楽殿の方へと向かいます。
正面に見えているのは神楽殿の横にある五丈殿、雨の日にお祓いなどが行われる場所だそうです。
一見、涼しげな景色ですが、この日は本当に暑かった……。真夏の参拝は覚悟が必要です。
四至神(みやのめぐりのかみ)
内宮の四方の境界を守る石の神様です。
みなさん「何だろう?」と言いながら手をかざしていましたが、そういう場所ではないのです。
ここで一度、来るときに通った参道にもどったわけです。
神楽殿
こちらでは年中、午前8時半から午後4時まで参拝者の申し出により御祈祷を受け付けています。
お守りは休憩所になっている参集殿にもありこちらは神楽殿のように混みあいませんので、神楽殿が混んでいるようでしたら帰り道に参集殿で授与していただくほうが良いでしょう。
お札の授与の前に、お札授与所の向かいにある道に入り、風日祈宮と瀧祭神に参拝をしに行きます。
この橋を渡って、風日祈宮(かざひのみのみや)に向かいます。
橋の手前を右に曲がる道は瀧祭神(たきまつりのかみ)に通じる道になりますので、風日祈宮に参拝した後で行ってみましょう。
内宮の橋は右側通行です。外宮は左側通行。何故、外宮と内宮とで左右と違うのかというと、手水舎の位置が関係しています。内宮の手水舎は右側、一方、外宮の手水舎は左側に設けられています。
風日祈宮に向かう橋なので、風日祈宮橋(かざひのみのみやばし)。
橋の下には、島路川が流れていますが、昔はこの川が五十鈴川の本流とされていたそうです。
この島路川と神路川が合流し五十鈴川御手洗場へと続きます。
橋を渡った先に、ひっそりとあるのが風日祈宮。ここだけ別空間のようなお宮です。
風日祈宮(かざひのみのみや)
祭神は 級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)という風神を司る神。
元々は農耕に適した風雨をもたらす神として祭られていましたが、元寇で日本側が勝利したのは神風のおかげだと当時流布され、それ以降は国難に際して日本を救う祈願の対象となったようです。
風日祈宮を横から。
橋の欄干の上についているこの飾りは擬宝珠(ぎぼし)といい、仏教における宝珠を起源とする説があります。作られた時代によって形も様々だとか。
式年遷宮の後にはこの手水舎も一新されると言うことですが、この時はまだ新しい手水舎は見当たりませんでした。遷宮に向けてまだまだ準備段階と言うところでしょうか。
正面に見えるのは御厩、その先の左に見えるのが休憩所を兼ねた参集殿で、お守りの授与もしています。
参集殿を過ぎ、あと残すは子安神社へのお参り……と言うところで、時間と体力の限界。子安神社へのお参りはせず、入り口の宇治橋に向かうことにしました……無念。
神苑に戻り宇治橋を渡って帰ります。
絵に描きたくなるような庭園が広がります。間もなく宇治橋を渡って、おはらい町へ向かいます。
来た時と同様にとても川に見えないけれど、こちらは五十鈴川。
ガイドブックには、「清らかな五十鈴川の流れ……」とあるのですが、夏の暑い日が続いていたせいか、川底が見える景色になっています。
次はおはらい町とおかげ横丁を歩いてみましょう。